ルー・タイスの動画を見て思う

人の可能性をその人よりも信じていたんだなぁと。

言葉と非言語が一致していて本当にその人の夢が絶対に君自身のやり方で達成できるよ!

僕はその可能性を君以上に信じていると。。。

他人の悪口とか絶対にしない人なんだろうと思う。

この人は信頼できると自然と思う。こういう人だったら相談にいきたいし、話を聞いてもらいたいと思う。

相手を自分の思うように意図的に人をコントロールしようとか、そういったことを考えてないとてもいい人であると思う。

なんかね、亡くなったうちの父方のおじいちゃんをふと思い出したんだ。うちのじいちゃんはとってもいい人だった。

第二次世界大戦で陸軍としてパプワニュージニアとかに派遣されていたそうだ。激戦区で多くの人が亡くなっていく中、将校さんが戦って勝てるわけないから、逃げろと、戦わず、逃げまくってなんとか命からがら日本に帰ってきた。

日本に帰ってきてからは、じいちゃんのお父さんの酒癖が悪く、成田の酒蔵にあずけられてそこで働いて一生懸命働き、酒屋を作ってお酒を納める仕事をはじめたそうだ。

僕が生まれてすぐに目が見えなくなったので引退しておばあちゃんと二人で生活していたが、友達がきたらお茶やお菓子でもてなしいつも明るく、戦争の苦い経験を笑い飛ばしていた。

お父さんがおじいちゃんが始めた酒屋の仕事を継ぎ、長男である俺は幼い頃は家の仕事を継ぐのかぁと、お父さんがカッコよかったのでそう思っていた。

しかし、日本はアメリカに魂を売った人たちによってお酒は価格競争に巻き込まれ酒の免許など簡単に取れるようになってコンビニでもお酒が買えるようになりメチャクチャになっていた。薬局が薬だけでなく、お菓子や飲み物も売るようになり、魚だけを売ってる魚屋、駄菓子だけを売ってる駄菓子屋などちっちゃな専門店が集まったちっちゃな商店街は閉じることとなった。

うちの親は一人で最後までそこで商売をやっていた。

そこを閉じることとなり、成田市から保育園に給食を収める野菜を主に仕事をもらいなんとかやってきている。しかし、保育園の調理師さんはかなりうるさく、バナナがちょっと青いとかで返品となったりして市場に返品できないので自分で食べることとなったりしている。

さらに収める品を仕入れに行っていた成田市場がどういうわけか、成田市の海外戦略なのか分割され、成田空港の方に一部の仕入れ先が移転となり、二箇所の市場にいくことになった。話を聞くだけでも大変そうだ。

スタートアップとかで市場からダイレクト販売など色々あるが、おっきな絵の中でちっちゃな絵は知らんということなのだろうか?

地元をさんざん支えてきた人達よりも海外が優先なのか?

普段あまり自分は語らないが自分がどういった人なのか伝わればと思い少し書いてみた。

そんな父もあと3年で仕事を辞めると今年の正月に聞いた。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です